ベニテングダケに恋をして
(@lunatic_starのポストを元に10分ライティング)
「だから貴方は信じられないって言っているのよ!パソコンと私、どっちが大事なのよ!」そう彼女は叫ぶと僕に掴みかかってきた。僕も彼女のその態度に頭に血が上って、言い返す。「初めて出会った日なんてどうでもいいだろ!そんなの、いちいち祝わないって、常識的に考えて!」僕がそう言うと、彼女は顔が真っ赤になった。「他のカップルなんて、常識なんていいの!私が、この日をどれだけ大事にしていたか知っているでしょう!?それをこんなイシっころのために……!もう私許さない!」ヤンデレと恐れられていた彼女を怒らせてしまった事実に、しまった、と思う暇なく、僕は押し倒されていた。馬乗りになった彼女の表情は逆光になって見えない。彼女は手に何か長物を持ち、振り上げる。
「貴方を殺して私も死ぬ!」
僕は死を覚悟する。仕方ない、彼女を怒らせたのだ。甘んじて死を受け入れよう。心残りがあるとすれば、待ちに待ったsandy-bridgeの性能測定が出来なかったくらいだ。
しかし僕は命拾いをする。頭に走る衝撃の代わりに、ふにゃりと柔らかいものが押し付けられる感触。
「……しまった、これはベニテングダケだったわ!」
そう言って彼女は僕の頭に叩きつけたベニテングダケを見つめている。僕は彼女を抱きとめ、「まったく、そんなものじゃ殴れないだろう。慌てん坊なんだから」と言い、そして口づけをする。彼女は眼を閉じる。交換される唾液。響き渡る淫靡な音。彼女は僕に完全に体を預けてきた。
僕はその隙にベニテングダケを手でちぎり、キスの合間に彼女の口の中に放り込んだ。そして、自分の唾液で彼女にベニテングダケを飲み込ませる。やがて、彼女はガクガクとし始め、そのまま倒れこんだ。しばらくして彼女の痙攣が収まり、静かになったことを確認すると、僕はふぅと息を吐いて彼女が放り投げたsandy-bridgeを拾い上げた。
美しいCPU!このCPUがあれば、僕の今までやりたかったあんな処理やこんな処理も思うがままなのだ!彼女との戦いに勝った今、僕は好きなだけsandy-bridgeと戯れることが出来る!嬉しくなってマザーボードとsandy-bridgeを抱きしめて、パッケージにキスをしていると、後ろから声を掛けられた。
「ねえ、知っている?ベニテングダケの毒性って、常識として思われているよりも随分と低いのよ」
僕の目が最後に捉えたのは、高く掲げられた新品のスチール製PCケースだった。
それでも僕は自慰をする。
(増田:つまんないのに精力的にアウトプットする人達をどうにかしてほしいをうけて)
アウトプットを自慰だという人は多いけれど、勿論その通り。けれど、ただの自慰とは違う。それはインターネットっていうところで大公開してしまっている点。
人っていうのは、覗かれたり覗いたりという行為に背徳感を覚え心震わせる生き物だけれど、インターネットが無かった時代は自慰を誰かに観てもらうことなんて難しかった。自分の自慰を他人にみてもらうことは、それこそコミックマーケットなり何なりに参加するしかなかった。これは、ハードルが高い。
けれど、インターネットはそれを一変させた。匿名が基本。だれでも一歩踏み出せば簡単に発信者になれる。ここで自慰をしなくて何をする?自慰をして自慰をして、誰かに見られているかもしれないというその可能性に心震わせ、また自慰をする。
そりゃ中には、「自慰を公開すると、自分が成長するって聞いた!」と言いながら公開している人もいるだろうし、ただ何となく公開自慰している人もいるだろう。
それを外野がツマランだの面白いだのと評価するのは大いに結構だと思う。けれど、自慰するな、は流石に暴論だ。自慰が下手な人だって自慰を公開する権利はある。それをやめさせるなんて、とんでもない。
だから僕は、何と言われようとも今日も一人でよがりつづける。誰かに覗かれているかもしれないというその背徳感をオカズに、今日も溜まりに溜まったものを吐き出し続ける。あわよくば、君が楽しいと思ってくれる自慰ができるように。けれど僕の思惑が成功して、君も楽しめて僕も楽しめたとき、それは僕の自慰じゃなくては君との性交になっているかもしれない。そんな日が来ることを、僕は楽しみにしている。
第11回文学フリマの感想
こんにちは、今回もid:m-birdでお知らせした通り、文学フリマに「筑波大学アマチュア無線部仮設文ガク課」として参加してきました。
今回は、執筆陣はサークル主宰の二人(私+ぺたへるつ君)だけで、文フリ当日まで執筆、当日の朝8時30分ごろまで製本という非常にアクロバティックな作業となりましたが、何とか間に合ったのです。この緊張感、正に青春!!!
当日会場について一息ついた後、とりあえずUMA-SHIKAを買いに行ってフミオさんにお会いしたら「よく間に合うね……。っていうか、なんでいつもそんなギリギリなのよ……」とダンディズム溢れる渋いお顔をされてしましましたが、若さっていうのはつまるところ振り向かないことですので、反省が活かされないことがままあるのです。
冥王星O(だいたい)全部読了!
電撃文庫MAGAZINEを買いそこねたので、フィータスのFだけ読めていないのですけれど、単行本として出ている分に関しては全て読み終えました。
(ヴァイオリンのVとウォーキングのWの感想はこちら)
【以下ネタバレアリ】
【各作品の担当作家は、間違いの可能性もあります】
短冊に込めたベンツの願い
僕は意外と子供の頃の記憶がはっきりとしていて、たとえば保育園のころに短冊に願ったことまで覚えている。保育園の"中年組さん"の頃の話だから4歳の頃、僕が願ったのは「ベンツに乗りたい」という事だった。
ベンツ。90'sなそのころ、僕の母はベンツからは程遠いパルサーの二ドアなマニュアル車に乗っていて、保育園に向かうたびにブフゥーンガッチャン、ブフゥーンガッチャンという独特のリズムに体を任せて保育園に向かっていた。
そんな狭い狭い日常の中、歯医者で開業医をやっている友人の車に一度だけ載せてもらったことがあった。その車はパルサーとは少し違っていて、シートが革でできていて、カーブのたびにつるるるるっと滑るし、なんかスピードを上げるときにうぃーんがっこん、うぃーんがっこんと操作をしなかった。僕は衝撃を覚えた。
家に帰って、「松本君の家の車すごかった!」と話すと、僕の母は「あそこのおうちの車はベンツだからねえ、いい車だからねえ」と言ったのだけれど、その言葉がまるで呪いのように僕の心に突き刺さって、短冊に「ベンツに乗りたい」って書くほどにも育ったのだった。
ベンツ。足を忙しく動かす必要がなく、静かに動く車。シートがまるでブランドもののバッグのようにつるつるとしているベンツ。そのベンツは、ディズニーランドのシンデレラ城よりも魅力的なモノに思えて、僕の心の中を占領していった。ついには短冊にお願いするほどに。
それから22年。18回もの七夕を迎えても、未だに僕はベンツのオーナーになることは叶っていない。いや、叶うことなんてあるのだろうかと、22歳の今僕はカンパリの大瓶を抱きながら疑問を胸に抱く。
いつか出来るであろう僕の子供が「ベンツに乗りたい」なんていう、小さな夢を短冊に書かない程度の甲斐性のある、大人になれますようにと、僕は22回目とあと4日過ぎた夜空に願う。