ターニング・ポイント

はじめに

この小説は即興小説トレーニング(15min)での執筆物の完結版です。
1200字程度で時間切れになったものを、500字ほど書き足し完成版としました。

本文

「ねえ一緒にセミナー行かない?」
夏休み。図書館に寄った帰り、キャンパスな真ん中。垢抜けない服装をした学生ばかりのキャンパスの中、その女の子は純白のワンピースを着て、大きな帽子を被って、片手で押さえて僕の前に存在していた。
「私、一人で行くのが寂しくて」
彼女は手を握り、僕を上目遣いで見つめる。その瞬間、僕は恋に落ちた音を自らの内に聞いた。

セミナー。大学のキャンパスであるのならば、それは恐らく何かの講義で、多分突発的な集中講義のようなモノだろうと僕は思っていた。
違う。
僕は彼女と共にバスに詰め込まれる。狭い。息苦しい。明らかに積載人数オーバーの様子であるけれど、彼女が楽しそうにほほえみながら「楽しみだね」というものだから、その呼吸が、髪の毛の揺れが、僕の頬と心をくすぐる。うなずく他は、無い。

ただでさえ山の中に設置された我が大学であったけれど、しかしそんなものは序の口だったのだと言うかのようにバスは木を、森をかき分けて進む。急勾配を過積載のバスはあえぎながら登りつめ、ついた先は小学生の頃に体験した少年自然の家のような質素な佇まいであった。
「降りよう?」
そう言って彼女は僕のてを取る。僕はうなずいて彼女の手を握り返す。

やはりそれは、宗教なのであった。
僕たちはありがたい言葉を聞かされ、現代社会の若者の不遇さを同情され、そして沢山の悩める学生たちと親交を深める。そして、きっとこの新興宗教の信仰も深まって行っているのだ。

いっそ、洗脳されたいと僕は感じた。彼女は相変わらず僕の隣に居て、僕の寂しいぼっち生活の話をうんうん、と目を潤ませながら聞く。僕は嬉しくなってどんどんと話す。彼女は表情をくるくると変え、僕に寄り添うように話を聞いてくれる。

淡い気持ちを抱くなと言う方が無理なのだ。この環境は。

けれど。持って生まれたこの捻くれた性格が、この現状をそのままに受け入れるのを阻む。
明らかに怪しくたって僕は良いのだと思う。救いなんて、本人が納得していればいい。例えこの宗教が怪しい新興宗教だとしても、僕に喪うモノは無い。お金を巻き上げようったって、奨学金だけに頼る僕の生活から巻き上げられるっていうんなら巻き上げてみれば良い。

けれど。
そんな風に思ったって。
僕の理性がどこかに生きていて。
無駄に無駄にブレーキを掛けてくるのだ。

彼女が呼ばれ、立ち上がる。僕はなんとなく彼女の行く先を見る。そこにはすらっとしたスーツを着込んだ、20代末の、けれど顔立ちの整った理知的な男が居る。彼女は彼と二言三言囁きあって破顔する。
ーーその笑顔は、僕が今日見てきた彼女の表情の中でも、とびきりに輝いていた。
そして僕は決意する。僕があの立場に立つことに。きっと、彼女の愛を僕が手に入れることを。

※※※

「おはようございます……」「ああ、おはよう」
入り口に立つ僕を見て、少女達が頬を赤らめながら、伏し目がちに通り過ぎてゆく。

数年後、僕はこの宗教のトップに立っていた。あれから、僕は学問に励んだ。幸いなことに、僕の所属する学校では心理学を学ぶことができたし、宗教学についても同様だった。僕は学業と実益を兼ねて様々な面で励んだ。

気づくと、僕は研究の面でも宗教団体の中でも成功を収めていた。そして女の子たちに囲まれ、無償の愛を、無垢な少女たちから受ける。多分、僕はあの頃抱いていた理想を実現しのだ。

……けれど。一抹の寂しさが胸に去来する。愛とはこういうモノだったのだろうか。僕は自分に問いかける。
あの少女は僕の前から姿を消した。あの日、にこやかに言葉を交わし合った幹部と一緒に、どこかへと姿をくらましたそうだ。そして、今の僕にはそのようにお互いに想いを交わし合う相手は、居ない。

「おはようございます、水口さん」
一人の少女が、はにかみながら僕に挨拶をする。
「ああ、おはよう」
僕は笑顔を顔に貼り付け、挨拶を返す。

僕にできるのは。こんな風に想いを向けることを半ば強制されている少女たちのその憧れを、壊さないようにするだけだ。このささやかな楽園を、僕は守ろう。

外にエンジンの音が聞こえる。バスが到着したのだろうと、僕は外に出る。そこには、スーツに身を包んだ大人達が並んでいた。差し出される手帳。そこには、菊の紋章があしらわれていた。
(了)