インターネットに、居場所がない

近頃どこか行ってもスマートフォンを見てぬるぬると画面を撫でている人が居る。フォローフォロワー呟きという言葉が聞こえる。越えちまったぜキャズムTwitterが、ネットが、SNSが日常に住み着いた。
僕は近頃ネットでの居心地が悪い。というのも、現実とネット、それぞれ別世界であったものが近づき一つになりつつあるからだ。ーーまあ、ネット自体がそもそも現実からforkした世界であるから、元の鞘に戻るだけだという話もあるけれど。


昔は良かった。ネットのスピードは速い。三年一昔だ。エロゲのユーザも三年で殆ど入れ替わると聞く。多分、老害化なのだろう。分かっているけれど、それでも近頃のネットでは閉塞感というモノを嗅ぎ取ってしまい悲しみに暮れる。
身内向け掲示板、キリ番報告。今となってはハナで笑われるそれらは、けれど僕に「ここに居てもいいんだ」っていうメッセージを送ってくれていた気がした。そちらに居場所がないのなら、こちらに来れば良い。切り離された世界、現実と干渉しない世界。だから心地良かった。


オフ会などにも参加した記憶がある。ハンドルネームを印刷しネームプレートに入れ、現実に顔を合わせる。けれど、そこには「僕」じゃないボクが居た。ネット世界の方から、現実世界にコッソリと忍び込んでいる気分。僕のための世界だった。
そんな世界にヒビが入り始めたのはいつ頃だろうか。いつの間にかTwitterは現実とは不可分となり、僕はボクと重なり始めた。僕はTwitterアカウントを閉じいくつかのwebサービスから退会した。寂しくは無かった。僕の居場所はそこには既に無くなっていたから。


結局のところ、インターネットでも現実でも「マッチョ」な人しか生き残れないじゃ無いかと僕は思う。かつて、アンダーグラウンドで現実からインターネットへ非難した人々はきっと死に絶えた。永続的なユートピア、なんてモノは存在し得ないのだ。この身体という殻の中に各々閉じ込められている限り、人間同士の完全なる相互理解などというものは実現しようが無い。死んだ後のあちら側ではーー肉体から解放された後ならば、相互理解が出来るのだろうか。もしかしたら、苦しんで生きた後のご褒美が、それなのかもしれない。

最後に

創作小説です。念のため。