Who loves me?

私が掴もうとしているのは、単なる恋じゃなくて未来。誰かに掴みとられてしまう前に、私が先に掴み取って他の子たちを蹴散らす。電気によって作られた音が、紙と磁石で作られた箱から飛び出して空間を満たす。ライブ、と言ってもそこには本当の生の声とは距離があった。そんな作られた音だけれど心地よく体に響く。空間は電子の音と、そして生の声の歓声で埋め尽くされていた。

「ねえ、先生」私は壇上に注がれていた先生の視線を奪おうと、声をかけた。けれど、私の生の声は、作りものの音によってかき消され、先生には届かない。私はうーっと唸って、クイクイと先生の服の袖を引っ張ると先生はやっと私に気づいてどうしたんだい、と尋ねる。私がチョイチョイと耳を貸してとジェスチャーすると、頭一つぶん高い位置にあった顔がすっと私の顔の近くまで下りてくる。

チュッ

私は、先生の首を抱いて、無理やりに顔を寄せて唇を塞いだ。啄ばむようなキス。一瞬のできごと。そのキスは私の心を溢れんばかりに満たして、そして先生の顔を真っ赤に染め上げた。いつもの静かで、優しい笑みを絶やさない先生からは想像の出来ない、素の顔。私は、そんな誰も知らない先生の顔をパシャっと心の中で撮影して永久保存をした。そして、落ち着かない様子の先生の腕を掴んで耳元に顔を寄せて言った。「先生、ずっと前から好きでした。」


岸田先生は女子の間では評判の先生だった。華奢な体で、顔にはいつも優しい笑顔が浮かんでいて、生徒からの色々なお願いを引き受けて、受け入れていた。誰しも先生を好いていた。けれど、私はその先生を「好く」という意味合いが他の子と少し違っていた。
私は、先生を恋をしていた。ラブだった。夢中だった。寝ても覚めても先生の顔が思い浮かぶし、時には敢えて先生の教科で赤点を取って先生のところに補習を受けにも行ったりした。少しでも、先生との時間が欲しかったのだ。二人きりの時間。二人きりの空間。私は、ただ一人の赤点者ということで、内心先生に叱られるのを期待していた。誰も知らない、怒った顔の先生を独り占めしたかった。だけれど、先生はいつも通りで柔らかい笑顔のまま、「ごめんなー、俺の教え方が悪かったかー。」と言いながら、丁寧に、とても丁寧に教えてくれた。先生の教え方は掛け値なしに上手で、私はわざとやった行為が酷くちっぽけでずるいことのように思えて恥ずかしくなった。


赤点を取ったのはその一度きりで、その後は常に満点首位を走り続けた。先生は嬉しそうに、「お前はやっぱりやればできるんだよ」と言った。私はその笑顔が嬉しくて、その私だけに向けられている笑顔のためだけに勉強を続けた。私はハッピーだった。他に何もいらなくて、幸せの絶頂だった。けれど、私の大親友である貴子は私のそんな様子を苦々しい表情で見ていた。


「あんた、そんなことじゃ焼き切れちゃうよ。」ある日の放課後、貴子は私を人気のない屋上への階段の踊り場へと引っ張って行った。「人生で使える燃料ってのは限られてるんだよ。一気に燃え上がったら、変なところで燃え上がったらあとは燃えカスしか残らないよ。」一瞬の静寂。「燃えどころは見極めなきゃ。いくらあなたが頑張ったところで、何も伝えなけりゃ現状は変わらないのよ。無駄に燃え尽きちゃったら、どうするの?」アイスピックのように鋭い言葉、視線。私は標本ケースに留められたアゲハ蝶のように動けない。「例え許されない恋だとしても、勝負に出なけりゃ後悔するだけよ。私は、あなたの泣く姿なんて見たくない。」そう言って、貴子は私に封筒を差し出した。「私にできる精いっぱいの応援。後は、あなたがどう行動次第。」貴子は最後にふっと柔らかい笑みを受けべて自分の席に戻った。


私は勇気を振り絞った。絞って絞って、もう私の勇気はからからに乾いていた。どくどくどく、と自分の脈が耳の中で響くのが聞こえる。駐車場には先生の後ろ姿。愛車の箱スカのタイヤをスタッドレスタイヤに替えているところだった。「先生。」「ん、どうした?」先生は手を止めて私の方へ振り返った。私はどくん、と血管が跳ねる音を聞いた。


「先生、私近頃集中出来なくて……ちょっとストレス溜まってるんじゃないかなって。そこで、少し先生にお願いなんですけど……」「なんだい?」「これ、一緒に行ってくれませんか?」最後の声は裏返っていた。「何々……おーっ、コンサートか。しかし、いいのか?チケット高いだろうこれ。」「関係者に知り合いが居て、譲ってもらえたんです。皆で行くんですけど、こういうところ危ないかもしれないから先生に引率して貰えないかなーって」殆ど棒読み。殆ど裏返った声。きっと顔はトマトより赤くなっていたのだと思う。けれど、先生は気づいていなかった。「うん、いいよ」


当日、私は駅の改札口前で先生を待っていた。午後3時、駅改札口前待ち合わせ。私は跳ねる心臓を抑えながら、待ち合わせ場所に居た。そして待ち合わせ10分前に先生は現れた。「おっ、いたいた。ごめん、待たせたな。あれっ、他の奴らは?」先生はきょろきょろと周りを見渡す。「他の子、っていうか貴子と美羽なんですけど、あの子たち親戚の呼び出しが掛かったらしくて急に来れなくなったようで……」「あーっそっか、あいつら親戚同士だったもんなあ。そっか、それだと二人だけかあ」うん、よし、上手く誤魔化せみたいだ。ありがとう貴子。私は心の中で感謝した。「えへっ、これじゃまるでデートですね」そう言って私は先生の腕をぎゅっと掴んだ。「おいおい、ちょっと……!」先生は慌てた様子で顔を赤くしていた。「早くしないと開演しちゃいますよ!」ガッシャンという改札口の音が私たちを祝福してくれているようだった。


デート次の日の午後。本当ならあったはずの先生の授業が、自習になった。「どうしたんだろう?」と不思議に思っていると、担任から呼び出された。「ちょっと、大切な話があるから校長室まで来なさい。」
担任に連れられて校長室に入ると、そこにはうつむいた先生と母親、そして警官が居た。まるでブルドックのような皺くちゃの警官は「まあ、楽にしてそこに座ってください。昨日のことで、少しあなたにお尋ねしたいことがあるんです。」昨日のこと?デート?え、何で?ばれた?「昨日、あなたは岸田先生とコンサートに行き、そして淫らな行為に及んだというのは確かですか?」淫らな行為?えっどういうこと?「いや、私は先生と一緒にコンサート行っただけです。」私は動揺が知られないように平然と言った。「先生は何も咎められるようなことはしてませんし、私も何もされていません。」するとブルドックは醜く顔を歪め「おかしいですね。当日あなたの友人さんたちが何人も目撃しているんですよ。あなたと、先生が抱き合っているところを。」私はハッとなって先生を見る。先生は顔を下に向けて、誰とも視線を合わせないようにしていた。
「岸田先生、うちの娘にどういうことをしてくれたんですか!」母親が激昂する。ヒステリック気味な母親は一度こうなるとなかなか歯止めが利かない。「何のために、この名門女子高に入れたと思っているんですか!安全だからって、不埒な輩がいないからって高い授業料払ってわざわざ通わせているんですよ!なのに、こんなことになるなんて!」「まあまあ奥さん落ち着いて」「落ち着いていられますか!そもそも学校も警察もきちんとしていないからこういうことに」完全にスイッチが入ってしまった母親は、婦警さんに「ちょっとすいません、となりの部屋でお話を聞かせてもらいますから〜」と連れられて行ってしまった。
「さて、本題に戻りますが……私たちの調査では抱き合っているところとキスしているところしか情報が入っていません。あなた、他に先生にされたことなどありませんか?」ブルドックは私に聞いてくる。「いいえ、私は何もされていません。」「そうですか、ならばこれは私たちが出る幕じゃなさそうですね。」そうしてそのあと警察は先生から事情を聴いた後、校長と2,3言葉を交わして出て行った。先生はその間、一度も顔を上げなかった。


「ねえ、どういうこと!」私は貴子に詰め寄った。放課後、屋上への階段。「コンサートのことを知っているのは貴子、あなたしかいないはず!」貴子は驚いたりうろたえたりするどころか、鼻で笑った後こういった。「あなた、本当に気づいてないのね。」貴子とは思えない、冷たい声が響いた。「岸田先生、そう凄く良い先生よね。あなたが好きになるのも分かる。ええ。分かるわ。あれだけ良い人他にいないわよね。」貴子はすう、と長くて白くて綺麗な腕を伸ばし私の首の後ろに回した。「本当に、良い友人を持ったものだわ。親友、と思っている相手が誰を好きなのか気づけないなんて。貴方のその鈍感が、あなたのその能天気がどれだけ私を苦しめているのか、全然あなたは知らないのよね。」貴子は腕をさらに寄せて私の視界は貴子だけで埋まる。「本当、頼もしい……。」「んぐっ!」次の瞬間、私は貴子に唇を奪われていた。先生としたキスとは違う、長い長いキス。貴子の舌が私の歯茎を舐め、押し返そうと口を開くと更に奥に侵入されて蹂躙される。「んんっんっん……。」胸をまさぐられ、そして下着を取られそうになる。私は必至に貴子を押し返した。
「何するのよ!」私は胸を押さえて叫ぶ。貴子は何も言わずふふ、と笑うと服の乱れを直し髪を整え、そして私に背を向けた。かつ、かつ、と階段を降りてゆく。「ちょっと、貴子!」すると、一度足を止めて、だけれど振り返らずに貴子は言った。「私は、いつまでも諦めないから。私は、諦めの悪い女なんだから。」言い終わると、貴子は再び階段を降りてどこかへ行ってしまった。気のせいか、貴子の最後の声は震えていたように思えた。