「2001年宇宙の旅」を読観ました。

名作と呼び名が高い、スタンリー・キューブリック監督とアーサー・C・クラークの映画/小説「2001年宇宙の旅」を観/読みました。
この作品は、小説と映画で同じ内容を描いているのにも関わらず、方向性が全く違うものとなっており、非常に興味深く、また面白く感じました。
まず、映画版について。コントロールされきった画面が切り替わってゆき、動画というよりも動きのついた写真を見ているような印象を受けました。光なども完全に計算されていて、その陰影が非常に美しく、近頃のCGを用いた作品よりもよりリアリティに溢れる画面となっており、ぐいぐいと画面に引きつけられます。
作品内では極端に台詞が少なく、画面で語るんだ!という監督の意思が伝わって来るようでした。しかし、それ故に抽象表現の意味を汲み損ねると途端映画の流れが支離滅裂に感じるようになり、特に後半については「こういう意味なのだろうか」と不安になるほどでした。
また、その作品内で出て来る一番のおしゃべりで、世界で一番有名であろう計算機"HAL"の声が非常に無機質であり、それが始終不安定な気持ちにして、画面から目が離せませんでした。
一方、小説版について。映画版が「静」だったのに比べ、こちらは「動」でした。
動き回る船員、喋りまくる船員、計算機HAL。冗談を言い合い、コミュニケーションを取り合い。そして、特に印象に残ったのがフランクな口調で喋るHALの人間臭さでした。
内容を見ても、映画版がそれぞれのシーンでの解説を完全に放棄して観ている者の感じるままにしているのに対し、小説版はこれでもかというほどの解説と理論付け-完膚なきまでと言いたくなる程の理論付け-がなされており、「そうそう、これがSF作品的な文章だよ!」と膝を打ちたくなるようなものでした。
小説のあとがきには、「スタンリーはクーブリックにレイプされたのだ」「それは違う、レイプはお互い様だったよ」との一文があり、恐らくお互いがお互いの主張をぶつけ合って作品を作り上げて行ったのだろうというのを感じます。
同じ内容の別作品、単なるノベライズでない、そしてどちらが原作というわけでもない二つの2001年。これは投げたコインの裏表のように表裏一体、いやそれ以上に複雑な-どちらが表でも裏でもない、どちらともが表でもあるし裏でもある-珍しい作品。是非とも二つセットで皆さんにも食して欲しいなと思います。

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