危険な「友情」

友情、それは世間一般において美しい言葉とされる。しかし、美しいものには刺がある、という訳ではないけれど、この「友情」という言葉は危険である。
友情とは、特定のクライアントとの間に張るコネクションの事を言う。このコネクションはコネクションの成立を確認していないので、お互いに友情コネクションが張れているかどうかは確証が持てない。またこれは優先度設定もできる。
しかし、ここで恐ろしいのはUDPと違い「投げっぱなしな」プロトコルであるのにも関わらず、友情プロトコルは信頼されている点だ。勿論、実装にもよるが。

さて、これだけでも恐ろしいのだが、更に恐ろしいものがある。よく「友情」という文字を見てほしい。友情、ゆうじょう、yuu jou。
ここで考えてみよう。yuuの発音、"yuu"は英語の"you"と同じである。つまり、"yuu"を"you"に置き換える事が可能だ。同様に"jou"も"jo"に置き換える。

するとどうだろうか。"you jo"。ようじょ。つまり、友情は幼女と同等であるという事が分かる。詳しい説明は割愛するが、世間一般において幼女と友情コネクションを張るのは非常にタブー視されている。そんな幼女と友情が置換可能という。これは非常に危険な事実である。

追記

ブコメにて指摘された点について、書き加える。
"友情は、確立されていることを確認しあうことできるが、その方法は明確に定義されてはいない。"