僕らはきっと噛み合える相手を探す為に生きているんだ

「ああ終わったわ。うんマジ終わった。」
そよそよよと風が吹く。人生は常にスタートでありゴールであるんだ、そんな言葉をいつもうそぶいている自分とは思えないほど絶望していた。
「明日からどんな顔して学校行けばいいんだよクソッ!浅はかな行動にしても程があるだろ!」
思ったより大きな声が出ていたのだろう、近くに寝ていた猫がビクっと起きて怪訝な顔でこちらを見つめた後、しゅんしゅしゅと逃げて行く。
「ちっくしょ...」
明るい月の下、河川敷。顔を上げると水面には綺麗な月が映っていた。大きい川だが、比較的穏やかな流れで色々な物を抱えている。ビルの灯り、家の灯り、橋の上に並んでいる車。決して触れられない別世界。しばらくその世界を見つめ、自分が世界に居なかったらどれだけ綺麗で完成した世界だったろうと思った。そんな世界が欲しいと思った。そして、目を凝らすと水面に自分の姿が投影されていることに気付き、瞬間黒い感情に包まれた。


「クソが!ああもう何もかも消えてしまえばいいじゃないか!」


丸い石、何年前まで食べ物が収まっていたのか分からない缶詰、そして看板の切れ端。投げられるものを手当たり次第に投げ入れ、紛いものの世界を崩してゆく。ぼちゃんびちゃんべちゃん。衝撃は波状になって世界を揺らがし、そしていつしか揺らぎも収まって元通りの世界に戻る。結局の所どう足掻いたところでどう暴れたところで、自分がこの世界に与えられる影響なんていうのはたかが知れている。水の中のまがい物の世界ですら思い通りにできないじゃないか。僕は世界の歯車どころじゃない。噛み合う相手なんて居ないじゃないか!そう気付き、憤り、しかし笑いがこみ上げた。



受験、勉強、そして大学。高校に入ってからこちら三年間、この言葉はどこに入っても耳に入って来た。今の時期遊んでいる奴を見返すには勉強しかない、良い大学しか無い。勉強させるためのタコ部屋的な存在になりつつある学校。「生徒主導」と言う癖に、クソったれた教師たちが毎朝校門で目を光らせてセンチ単位で女子のスカート丈を測定し、そして男子の柄シャツを厳しく指摘し、従わなければ出っ歯で大阪弁の指導教員にコッチこいや!と指導室に連れて行かれて説教される。通称説教部屋はスタンプが溜まるともれなく両親呼び出しの豪華特典が付いて来る。ギチリギチリと学校という歯車から軋み音が聞こえてくる。その美しさの余り、笑いがこみ上げて来る。


「おう、櫛田。今日はえらい元気ないやないか。」
「はあ、ちょっと昨日忙しかったもので」
「あんま無理すんなや。受験生なんやし、文化祭が終わったら気合い入れていかなあかんぞ」
「っす」


首をすくめながら校門を通る。文化祭。9月の26日から27日に開催される。夏休みが明けてからは一ヶ月間は準備一色になる。伝統的に盛り上がる文化祭、これだけはこの学校の気に入っている部分で、三年生最後の文化祭では文化祭を取り仕切る生徒会に入って骨の髄まで楽しんでやろう、そう思って生徒会に入った。初めのうちは。


「はよざいます。」
「はい、おはよ。...ん、お前今日シケた面してんな、元気ねーとやってけないぞこの先。そこの冷蔵庫にリポビタンDっぽい飲み物があるから飲んでおけ。多分尾上の私物だろう。」
「いや、ちょっと先生の私物は...。」
「学校の備品の中に入っているんだから、中身も学校の備品であるべきだろう?学校の備品だったら、学校の生徒が使ってしまうのは構わないさ、それが消費材であろうとなかろうと。」

カカカカッと豪快に笑うのはこの部屋の主、生徒会長。成績優秀、スポーツ万能と優等生のようだが、自由奔放で男勝りの正確。故に周りが苦労する。無茶なアイデアと無茶な立ち振る舞いを生徒会メンバーが必死に支えて収めて、何とか学校行事を回して行っている。

「しかし、本当にお前顔色悪いぞ。熱でも出てるんじゃないか?」年季の入った椅子をギっと軋ませ、タスタスと近づき、額の毛を掻き上げる。
「ちょっと顔貸しな。」
「わ、わ、わ...。」コツンと額同士がぶつかる感触、そして直ぐに体温が伝わって来る。ふわ、とシャンプーと女の子独特の匂いがない交ぜになり、鼻腔を駆け抜ける。
「ふむ、熱は無いようだな。まあ、忙しい中だとは思うが、無理はするなよ。」
「あ、ありがとうございます...。」

同じ学年でありながら、醸し出す雰囲気はまさに先輩のそれだった。それゆえ、彼女とため口で喋る人間はこの学校にそうは居なかった。生徒会のメンバーを含めて。そんな会長は、無警戒に僕に近づき過ぎる。しかし、僕はそんな彼女との微妙な距離が気持ちよく、彼女との時間が心地よく、生徒会へ通う理由がその時間を得るためとなっていた。

「さて...それじゃ始業5分前だからそろそろこの部屋閉めるぞ。また放課後だ。仕事山積みだからな、ゆっくり授業で休んで放課後の仕事に備えろよ」

カカカカっと豪快な笑い声をバックサウンドに、部屋を後にした。



夏休みは終わった!気合いが足らん奴はどんどん振り落とされて行くぞ!そんな台詞を毎回の授業で聞かされ、うんざりとしながら授業をこなすこと5コマ。やっとの事で授業が終わり、へなへなと生徒会室へ向かう。確かに、今日は体調が悪いのかもしれない。重たい体をぐうぐぐぐと伸ばし、顔をパシンパシンと叩いて気合いを入れてから生徒会室のドアを開ける。「こんにちわ!」しかし、そこに座っているのは会計と文化祭実行委員の委員長だけ。


「あれ会長は?」と会計の水口さんに尋ねる。水口さんは2年生ながら会計として生徒会に入り、堅実に会計業務をこなしてくれる実力派だ。
「会長さんですか?会長さんでしたら、先ほど"すまんがちょっと抜ける。"と言い残して鞄引っ掴んで飛び出していかれましたわ。今日会計の詳細を詰めないと予算を先生から踏んだくり...失礼、気持ちよく多めに出してもらう事は難しくなってしまうっていうのに...。頭が痛いですわ。」
「あ、ああ...。お疲れ。」


微妙にピリピリしている水口さんに障らないように、そうと椅子を引いて会長の座っていた席の横に座る。会長の席には資料が散乱して、本当に慌てて出て行ったと見受けられた。しかし、と思う。いくらいい加減とは言え、今日が期限である会計の話をすっぽかすなんて会長にあり得るだろうか。いくら自由奔放だと言え責任感だけは人一倍あり、それで同学年からも敬語で敬われている。そんな人が間違っても会計をすっぽかすだろうか。そう考え始めると、思考の歯車はぐんぐうんと回りに回り、色々な嫌な予感が頭の中を駆け巡る。時刻は午後5時半。もう限界だった。


「水口サン!」
「はいっ!な、なんですか急に。」会計作業に没頭していた水口さんは、そのままの姿勢でぴょんっと椅子から飛び上がり、そしてそのままの姿勢で着地した。ふよんふよよんとツインが揺れている。
「会長どっちに行ったか分からない?ちょっと心配だし会計の方も困るだろうし、僕見て来るよ。」
「た、確か駅前の方に行かれたと思いますが...。」
「そう、ありがとう!」


直ぐさまに自転車にのり、駅前の方に向かう。高校から自転車でたかだか5分といった所か。愛車の鍵を外してまたがり、ペダルに力を込める。三年目の相棒はなかなかに腰が重い。ガキュガキュガキュとギアが悲鳴を上げる。下校中の生徒を引っ掛けないように注意しながら、それでも出せる最大の速度で駅に向かった。



居た。確かに、会長はすぐに見つかった。しかし、声は掛けられなかった。今まで見た事の無い、打ち解けた雰囲気で談笑する会長の姿がそこにあったからだ。相手も会長に対して敬語を使わずにフランクな態度で接している。僕は衝撃を受けた。今まで学校の中で一番会長と打ち解けているのは僕だ、会長と一番対等にやり合っているのは僕だ、自分でも気づかなかった優越感が、ボコンボココンと浮き上がって来るのが分かった。そして同時に、それらの優越感は針でことごとく刺され、ぷすすぅと情けない音を立てて萎んで行った。

プププルルププルル、と膝を叩く携帯電話のバイブに気がつくと、既に学校を出てから20分が経過していた。メールの相手は水口さん。「会長見つかりましたか?余り無理しないで下さいね、何か今日体調の方が優れないようでしたので。」今朝の時点で顔色が優れなきゃ、今はぐるっと回って逆に健康的に見えたりするんじゃないだろうか、と僕は思った。


「会長?すいません、お忙しい中とは思いますが、生徒会の方もお忙しいのでどうか戻って頂けませんかね?会計の最終調整もありますし。」
ヘタレた時は電話に限る。僕はそう思い、とりあえずは電話をしてみることにした。
『すまんすまん。ちょっとした用事ができてしまってね。まあでも、また生徒会の仕事が終わってからでも問題ないようなので、一旦そちらに戻るよ。申し訳ない。』
電話越しの会長の声はいつも通りだったが、それが余計僕の胸の中を波立たせた。
「実は、駅前まで来てるんですけれど、会長も駅前に向かわれたとのことで、どこかで落ち合えませんかね?」
いつもと変わらない会話なのに、しっとりと掌が汗ばみ、顔が熱くなってきた気がする。
『そうだな、踏切で待ち合わせようか。』



一体僕は何を今からしようとしているのだろうか。自分でも分からない。自分が駅前に居ることを言わずに、会長に帰るように電話するだけでも良かったはずだ。直接声を掛けずに済むように電話したのに、何故一度落ち合う?いや、そもそもスタバに居た会長に声を掛けられないと思ったのは何故だ?ぐるぐると頭の中の歯車は噛み合ないまま回り続ける。と、会長がやってきた。


「櫛田、すまんなわざわざ」はあはっと少し会長の息が上がっている。小走りで来たのだろうか。顔が赤らんでいて、いつもと違った会長のその姿が、僕の心をまた乱す。
「ああ、いや、まあそうでもないですよ。」
「うん?どうした?また顔色が悪くないか?」俯きがちに答えた僕の顔を覗き込むようにした会長と目が合う。
「あああのいやべつにちょっと会長が他の人と喋ってるのを盗み見たから気まずいとかそんなんじゃあははは!」言ってしまった、実に僕は馬鹿だ。固まっていると、会長はバツが悪そうにペロと舌を少し出して苦笑した。


「ああ、なんだ見られてたのか。実はあいつとは幼なじみで兄貴、姉貴、と呼び合っているが弟みたいなもんだよ実際。」そういう会長は目を細め、少し遠くを見ていた。
「昔から放っておけなくてね。時々呼び出してはちょっかいを出しているんだよ。」
「付き合っている訳ではないんですか。」自然、言葉が口を突いて出た。
「ははは、付き合ってはいないね。今日もアイツのコイバナをからかいに飛び出して行ったのだから。」その笑った顔にはいつもの底抜けた明るさが無く、触ったら壊れそうな、ただ一人の女の子が居た。
「仮にそういう気持ちがあるとして、私は彼にそんなことは言えないな。私と彼は余りにも近過ぎる。」
「それは一体...。」僕は唾を嚥下した。いつもよりドロリ、としたそれは食道を通ってく感触まで僕に伝えた。
「言葉の通りさ。現状が心地よ過ぎるんだ。そして、私はそれを壊す勇気がない。私は、小心者なんだ。そんな私には、レンアイだとかいうものをする資格なんて、ない。」
「会長は...!」会長の諦観した横顔を見て、思わず口走っていた。「会長は小心者なんかじゃありません!」突然の叫び声に、会長は目を見開いて驚いている。
「僕は、この詰まらない学校生活が楽しかったのは全部会長のお陰だったと思っています!そして、この全校生徒をここまで上手く引っ張って行けたのは会長だけだと思います!僕は、そんな会長が大好きなんです!だから...ッ!」瞬間、自分が何を口走ったのかを理解し、一気に息を吸い込み、流れ出る言葉を押し止めた。
「ありがとう。人に好かれるってのはやっぱり嬉しいもんだよ。」そういって会長は僕の頭を抱えた。気づくと、僕は涙を流していたようだった。
「だが、スマン。私はさっきも言った通りそんなに強い人間じゃない。私はもう少し私と近くに、私と対等に接してくれる人じゃないと持たないんだ。申し訳ないが、その気持ちは受け取れない。」



「ハハハハハ!本当に馬鹿だ!虚構の世界だって現実の世界だって、僕一人の力で壊せる程世界はヤワなはずが無いじゃないか!世界は噛み合ない歯車だらけなんだ!」
おかしくておかしくて。笑いがこみ上げてきて。僕はハハハハと笑い声を上げてまた草むらに倒れ込む。回りからは虫の鳴き声が響き、その音の中に自分という存在が紛れ掻き消えてしまっているように感じられた。そうして暫く横になりムクリと起き上がると、粗大ゴミが勝手に捨てられ、溜まっている場所が目に留まった。

「みんなみんな、屑だ!俺も屑なんだ!」
叫び、手元の石を掴んで投げる。スッコーン!ガンガラガン!
「イヤッホウ!」

また無性におかしくなりケタケタと笑い声を上げて転がっていると、ブゥフフフと鼻息が聞こえる。何だろう、と顔を上げると崩れた粗大ゴミの山から犬が出てきてコンニチワ。やや、本日も良いお日柄で、なんて言う暇もなくバウワウハッハ!とコチラに向かって突進。

「おいマジで冗談じゃないってあの犬でけーって!」

叫び、駆ける。運動部を引退して久しい体に鞭打ちモーレツダッシュ。無我夢中に駆けるうち、河に投げ入れたはずの空き缶がどういう訳か足下に転がっている。認識した瞬間それを思い切り踏みつけすっ転ぶ。「った!」犬のハッハ声はすぐ近くにまで近づいている。

「ワンワンバウ!」どっかとのしかかってきた犬は、やはりかなりのビッグサイズでシベリアンハスキーのようだった。「うわちょおまっ!」のしかかられ起き上がれない。肩を前足で押し付けられる。ああもう噛まれるな、結構な怪我になるんじゃないのか、と思い目を閉じたが、襲ったのは生暖かい感触。ベロベロリュチュバ!「うわっちょっ涎まみれちょっ舌入れて来るなちょっファーストキスが犬ってないっておまっ!」


この時の「ファーストキス奪われ事件」のことは余り思い出したくはないのだが、実はこの犬が水口さんの犬だったってのは首輪からすぐに分かった。脱走癖のある、人懐こい犬だそうだ。この時水口が心配して電話をくれていたので、弁解をするついでに犬を連れて行ったら泣いて、まずこの犬「次郎」に抱きつき、そして次に僕に抱きつき、次のように言われてしまった。

「心配したんですから!先輩も戻ってこないし、会長も何も言わずに黙々と仕事して"それではこれで"って帰って行っちゃうし、私どうしたらいいか分かんなかったんですよ...!もう、私先輩のこと離しませんから、絶対に、私!」
わあわあと泣く水口さんの頭にぽむりと手を載せて、こんな世界も良いか、きっとどこかに噛み合う歯車が存在するようになっているんだ、と思った。

因に、その時奥の部屋からギンギラと目を光らせていた水口パパの顔は一生忘れられないものとなる。