冬の日々

何かがひらりと舞い降りてきて、僕の頬に当たり消える。空を見上げると、白いものがほっほっほと休むこと無く軽やかに舞い降りてくる。僕は空を見上げてため息をつく。今日はまた一段と冷え込みが厳しくなるのか、と。
そうやって僕が空を見上げていると、太ももの上で携帯が踊り出す。取り出し、見ると友人からのメールだ。

「やったよ!今日雪だ!積もるかな!?」

雪が珍しいところ出身の彼は、雪が降る度に僕にメールを寄越す。僕はメールを眺め苦笑して携帯を仕舞い空をもう一度見上げる。いつの頃からだろうか、僕が雪に喜ばなくなったのは。


十年と少し前。僕がまだ小学生に居た頃。雪が積もると母は憂鬱な顔をし、僕は喜んだ。僕は雪だるまを作ろうと外に駆け出し、母はスタッドレスタイヤに交換しようと重い足取りで外に出る。母が車をジャッキアップする横で僕は雪だるまを作る。ジャッジャッジャと車が上がるのを横目に、僕も玉を転がす。母が四つのタイヤを交換するまでの間に、僕は一段目を作り終えて二段目に取りかかる。
「風邪ひくから、中に入りなさい」と僕に言う母の言葉は空しく降り積もる雪に覆い隠され僕の耳には届かない。ため息をつき、飽きたら中に戻ってきなさいと言葉を残し母は去る。


大体の場合において、親は正しい。僕は母の言葉を無視したがために翌日風邪をひく。ほとんど毎年行われる恒例行事。僕は車に担ぎ込まれて近くの病院へ行く。またですか、と医者は苦笑して薬を処方し僕は家に戻る。慣れた作業。慣れた手順。替えたばかりのスタッドレスタイヤが活躍する。
「あんたは毎年毎年人の話を聞かないで、よく飽きないねえ」と母があきれた表情で椅子を倒した助手席で丸まっている僕に声を掛ける。

「でも、雪なんだよ。遊ばなきゃ損だよ」

子供はいいねえ、と母は呟き車を走らせる。


そんな僕もいつしか成長して高校に行く頃には、いつの間にか雪が嫌いになっていた。雪。自転車通学の僕にとっては大敵だった。真面目な学生からおおよそ対極の位置に居た僕は、文字通り一分一秒を争って高校に向かう。愛用の自転車は変速機がゴテゴテついたママチャリ。相棒を駆って僕は高校へと向かう。
田舎には多くの裏道があり、その危険さと引き替えに大幅な時間短縮を得る。僕も裏道を大いに活用し、車一台ギリギリ通れる急な峠道をノンブレーキで疾走する。ブレーキのタイミングも全て身体で覚えて対面走行となる自動車の確認ポイントの押さえも完璧だ。……それが晴れの日であったなら。
雪は地面に積もるだけしか脳がない物体だと僕は思っていた。けれど、そのときの奴らは僕の想像をこえて賢く、僕の眼鏡に積もり、仕舞いには視界の殆どを覆い隠した。このままではまずい、僕がそう思い減速をしようとした瞬間、下にはすり減ったマンホール。横滑る自転車。そして示し合わせたように全速力で上がってくるセダン。僕は驚いた運転手の顔をみとめて悟る。今週末の期末試験が受けられないのは仕方が無いな、と。


小説よりも奇特な存在である人生というものでは、時として小説よりもご都合主義にて処理される。コントロールを失った僕の自転車はくるりと一回転し、その瞬間セダンはぼくの横を駆け抜ける。そうして僕の命は救われた。勢いあまってすっ飛んでいった弁当箱と便覧を犠牲にして。


※※※


子供の頃は雪の恐ろしさを知らなかったのだろうか。霜焼けスリップ雪掃除。それらを考えただけで僕は憂鬱になる。子供の頃は視点も低く何も見えていなかったのだろうか。背が伸びて、視点が高くなり何事も見通せるようになった今。成長してモノを知ることで、純粋さと呼ばれるものを失ってしまったのだろうか。
電話が鳴る。また別の友人からだ。取り上げると弾んだ声だった。


「今日雪やん。さっむいなー。ところで思ったんやけどさ、スキーいかへん?スキー。久しく行っとらへんし、たまにはどうや?」


そのとき気づく。そうか。僕は物事が多面的に見えることに満足して、そこから選ぶということをしていなかったのだ。そうして僕は恥ずかしくなる。


「なんや?行かんのか?」
「今就活中で、ちょっと時間取れんわ。この就活の冬を抜けたらスキーに行こう」
「お前、吹雪の中無理に動き回って遭難すんなよ?ちょっと位冬が長くなっても、死ぬことは無いさ」
「……ああ、今年の冬を抜けたらまた来年の冬は楽しめるさ」

そうして僕たちは笑いあって、電話を切った。僕は進もう。もう一つ高く階段を登って、見通せるように。そうして、自分で選び取れるように。